『バッテリー』あさのあつこ

面白すぎて速攻シリーズ読破。

 

f:id:sunmontoc:20210527084737j:plain

『バッテリー』シリーズ あさのあつこ

「そうだ、本気になれよ。本気で向かってこい。―関係ないこと全部捨てて、おれの球だけを見ろよ」中学入学を目前に控えた春休み、岡山県境の地方都市、新田に引っ越してきた原田巧。天才ピッチャーとしての才能に絶大な自信を持ち、それゆえ時に冷酷なまでに他者を切り捨てる巧の前に、同級生の永倉豪が現れ、彼とバッテリーを組むことを熱望する。巧に対し、豪はミットを構え本気の野球を申し出るが―。『これは本当に児童書なのか!?』ジャンルを越え、大人も子どもも夢中にさせたあの話題作が、ついに待望の文庫化。(Amazonより)

言われまくってることだけど、本当に児童書なの?って疑問が読んでいてまず浮かぶ。

と思って「児童書」の意味を検索してみたら、「子供のためにかかれた本」と出てきたので、そういう意味では間違いなくそう。でもこれは全年齢層全方位的に響きまくるし苦しくさせる。

青春系の爽やかな読みやすい感じなのかなと思っていたら、エゴと自尊心と存在意義の証明と、世間・社会・組織・仕組みへの苛立ちと対する無力さと反抗と、消化しきれない清濁併せ持った感情がこれでもかと溢れていた。読んでいるうちにどんどん苦しくなっていくのは、自分たちが大人になるにつれて妥協や諦めを伴って見過ごしたり、目くじら立てなくなってきたことに対して、主人公が傲慢なほど純粋な感情を持って相対しているからだ。

わずか一年間の、公式戦を一度も行わず、しかも試合を一度も最後まで描ききらないのに、野球に対するこれでもかと高い熱量を感じて夢中になれる。しかもその濃密な一年間を、主人公たちと野球という絶対的な軸をぶらさずに描き通すから、脇役たちがどんどん移り変わっていき、巻を増すごとに感情と熱量の純度が高まっていく。野球に真摯であるからこそ、そこには手を取り合うような友情は介在しない。

あとがきも含めて、この作品が自立と覚悟と抵抗の物語だったんだなと感じるし、作者自身も主人公と戦って負けてを繰り返してもがいてきたことが読み取れる。

読んでて何度も焦ったり、息詰まったり飲んだり、苦しくなるところがたくさんあるけど、子供も大人も全員に刺さる傑作だった。