Dragon Ash LIVE 『DEPARTURE』
感傷ではなく祝祭感に満ち溢れた空間だった。
Dragon Ash、7人編成最後のライブ DRAGONASH LIVE “DEPARTURE” ティザー映像が公開
Dragon Ash LIVE 『DEPARTURE』
ダンサーのATSUSHIとDRI-Vの脱退ライブ。
当日は観れなかったので一週間遅れでGYAO!で見逃し配信視聴。
ネタバレ気にしないので一週間ランニング中に何回もセトリを聞いて遅めの予習。当日いきなりこのラインナップだったら驚きと嬉しさでヤバかったよな。
ライブレポなんて書けないし、ただのダラダラとした個人的な感想。
カメラ割りがある映像で観ると、改めてこのバンドは見るところが多すぎる。
Kjはもちろん、ダンサーそれぞれの動きも追いたいし、BOTSのスクラッチも見たいし、楽器隊の荒々しくも渋いパフォーマンスも注目していたい。本当にライブ映えがするバンド。
この日のためのオリジナル曲でのダンサー二人のパフォーマンスから次の『A Hundres Emotions』のイントロで他のメンバーが笑顔で登場して二人に声をかけながら各々の持ち場に立つシーンで、既にこのライブが終わったときの多幸感が予感できるし泣きそうになった。
俺はDragon Ashにどっぷりハマったのが遅いからダンサーがいることが当たり前だったけど、ダンサーとしてではなくアジテーターとしての役割も素晴らしい。ライブにおいて盛り上がり方を教えてくれるとと同時に観客自身も盛り上げてしまう、先導者であり扇動者というか。バンドの年数が経つにつれ、別々のテイストの表現をするようになるけど、ふとしたターンで合う一体感も好きだった。
こんなにバンドにフィールしたダンサーは日本の音楽シーンには今まではもちろん存在しなかったし、今後も出てこないんじゃないかな。歌詞や曲をわかりやすく象徴化して表すところも、モッシュやダイブを煽るところも、Dragon Ashがもつ芸術性と激しさをより際立たせて訴えていた。
ライブでダンサー抜きの曲は見慣れているはずなのに、『Dialogue』の5人の姿が
どこか少なく寂しく感じて7人揃ってやっと落ち着くのを感じて、役割でいないのとこらからずっといないってことではやはり喪失感は違うなと寂しさを感じた。
新旧織り交ぜたセトリはフェスだけでなくアルバムやツアーを通してファンで居続ける人たちには特に最高な内容だったけど、気づけば彼らの曲は鼓動や拍動で始まるものが多く、そこにもダンサーとしての自身の体を楽器として使った表現の重要性を感じた。
個人的に特に大好きな久しぶりに聴ける『Beautiful』はやはり最高だった。
「どんなに転んだっていい この空が淀んだっていい 大事なのは擦りむいた膝で立ち 笑って振り向いたときの価値だろ」
18〜20歳頃はこの歌詞を何度も何度も反芻して大好きな言葉になった。
逆にこのコロナ禍でシンガロングもダイブもモッシュもできない環境での『Fantasista』はやっぱり寂しかった。だからこそいつもの、全てを一瞬で掌握して興奮の坩堝とする凄さを感じた。
当初はSBKに宛てた『TIME OF YOUR LIFE』も二人のための歌として響いて、歌詞も曲も演奏も感極まるものがあった。
アンコールの『Harvest』は個人的には、ダンサー二人からKjへの、バンドへの恩返しなんじゃないかと思ってしまう。今後もやることはほぼないんじゃないかな。
エンドロールでの二羽の燕が旅立つ映像まですべての表現が美しかった。メンバーが徐々に増えて、思わぬことで減ってしまったバンドとしては、初めてちゃん別れを祝える舞台だったと思う。彼らの過去も現在も未来もすべてがあの場所にあって、今後もずっと大好きでいることを革新させてくれるライブだった。