『線は、僕を描く』砥上裕將

新たな世界との出会い。

 

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『線は、僕を描く』砥上裕將

水墨画という「線」の芸術が、深い悲しみの中に生きる「僕」を救う。第59回メフィスト賞受賞作。(Amazonより)

 

冒頭の西濱との出会い。喫煙所でのゆったりとしたやり取りの中で、本質を訥々と語っている。

「才能はタバコの煙のようなものであって、気がつくとごく自然にあって呼吸しているもの。ふだん当たり前のようにやっていることの中にある。」

芸術やセンスみたいなものを大仰なものとしてではなく、生活・人生に則したものとして考えている。

次に篠田湖山と水墨との運命的な邂逅。霜介の空白が多くなってしまった人生と「何もない場所にポツンとなにかがある感覚」を感じる水墨が交わるというかひとつに紡がれた感じがする。

湖山のゆったりと全てを包む空気感が、この物語の緊張と緩和を全て決定していると思う。

漫画の『3月のライオン』と通じるストーリー性。それよりも周りとの出会いや外側との結びつきにより重きを置いている感じ。壊れる寸前でギリギリ保っている自我。

66〜67Pの湖山の言葉が心に残る。ここの2人のやり取りが静かに水墨の本質を語っている。「まじめというのは悪くないけれど、少なくとも自然じゃない。水墨画は自然に心を重ねていく絵画。自然との繋がりを見つめ、学び、その中に分かちがたく結びついている自分を感じていくことであり、その繋がりが与えてくれるものを感じることであり、その繋がりをいっしょになって絵を書くこと。」

こういう初心者が未知のものに出会って成長していく物語では美点として表されるまじめさや愚直さとは文字通り一線を画した考え方。

その帰り道で西濱にが語る言葉も印象的。「何も知らないからこそ、何もかもがありのまま映る。」何気ない会話の中で、かしこまらず大切なことを伝えており、彼の人間性が滲み出ている。

そして第一章ラスト。「水墨の入った重い手提げ袋を反対の手に入った携帯番号を握りしめて、彼はゆっくり空っぽの部屋に入っていった。」水墨との、西濱との、湖山との、千瑛との出会いを通じて、今までの空っぽさとは違い、両手に2つの希望や生きていくために大切な何か種を持っていることを表している。

第一章の水墨という未知との出会いや楽しさだけではなく、第二章以降ではその真髄を求める者たちの苦悩や、シンプルだからこそ難しいことが語られている。それは斉藤や千瑛にはなくて、西濱にあるもの。「これは明らかに美などではない。美しさなど思いもしなかった。そうではなく、ただ心が震え、一枚の絵、一輪の花、たった一つの花びらの中に命そのものを見ていた。」水墨とは自分の心の内側の森羅万象を描くものであり、美ではなく命を描くもの。

そして2年間心を閉ざし続けていた霜介が、描くものを通して周りに理解され、信じられていき、止まっていた生命力が水墨をきっかけに動き出していく。

第四章では、霜介自身の命を描くことへの挑戦と苦悩が表現されている。しかし、それは水墨に出会う前とは異なる悩み。「与えられた場所ではなく、歩き出した場所で立ち止まっているから。」

 文化祭での湖山の揮毫会。個人的に全く馴染みのないイベントなのに、とてつもなく大きな何かが始まりそうな予感と期待で、準備段階の焦っている様子からテンションが上ってくる。会での湖山と作品を通して、霜介は改めて水墨の真髄を感じる。「生きているその瞬間を描くことこそが水墨の本質。人は描くことで生命に触れることができる。」

その後の入院中の湖山との一番深い部分での交わり。水墨を通じて霜介にしてあげたかったことから、湖山のとても真摯な姿勢での無償の愛と共感を感じる。「君が生きる意味を見いだして、この世界にある本当にすばらしいものに気づいてくれれば、それだけでいい。」

そして霜介は自分自身・自然・水墨と向き合いぬいてひとつの境地に達する。「自らの命や森羅万象の命そのものに触れようとする想いが絵に変わったもの、それが水墨だ。」

物語の最後には、空っぽの真っ白な部屋にいた青年はついに「僕は満たされている」と実感することができる。

絶望の淵に立っていた主人公が水墨という狭い間口を通して、自分、他者、自然との結びつきを見直し、自然の美しさや生命力に気づき、周囲との交わりに喜びを見出し、自分はもう空っぽじゃないと感じられるまでの再生・救いの物語。テレパシー並に各々が深いところで理解し合って共鳴し支え合っている。

シンプルな題材・ストーリーながらも、一文で読み手に与える印象が大きく、心に響かせたい部分がわかりやすくて読みやすい。

本というものが自分がまだ知らない世界に出会わせてくれることに醍醐味のひとつがあるとするならば、5作しかノミネート作品読んでいないけど一番本屋大賞をとってほしい作品。

 

 

線は、僕を描く

線は、僕を描く

  • 作者:砥上 裕將
  • 発売日: 2019/06/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)