『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治
ぼんやり認識していたことを知るいい機会だった。
『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治
児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。(Amazonより)
◉非行少年の更生
自分のやった非行としっかり向き合うこと、被害者のことも考えて内省すること、自己洞察することなどが必要だが、そもそもそれらの力がない。
→『反省以前の問題』
本書の目的
①加害者への怒りを彼らへの同情に変えること
②それによって少年非行による被害者を減らすこと
③犯罪者を納税者に変えて社会を豊かにすること
1.ケーキを当分に切れない中・高の非行少年たち
非行の反省や被害者の気持ちを考えさせるような従来の矯正教育を行っても難しい。
さらに問題なのは、そのような彼らに対して
・学校ではその生きにくさに気づかれず、特別な配慮がなされてこなかったこと。
・不適応を起こし、非行化し、最後に行き着いた少年院においても理解されず、非行に対してひたすら「反省」を強いられてきたこと。
・非行少年たちの中には、「後先のことを考える力(計画力)」が弱く、安易な非行を行ってしまう少年が多い。
・そもそも反省ができず、葛藤すらもできず、感情を表す言葉として「イライラ」しか知らない。
・少年院の8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と言っており、自身が犯した罪を説明してやっと気づく。そこまで言わないと気づかないし、「人を殺してみたい」という気持ちが消えない少年にはブレーキをかけるトレーニングを行う必要がある。
2.非行少年に共通する特徴
・認知機能の弱さ:見たり聞いたり、想像する力が弱い。
・感情統制の弱さ:感情をコントールするのが苦手で、すぐにキレる。
・融通の利かなさ:何でも思いつきでやってしまう。予想外のことに弱い。
・不適切な自己評価:自分の問題点がわからない、自信があり過ぎる、なさ過ぎる。
・対人スキルの乏しさ:人とのコミュニケーションが苦手
+1 身体的不器用さ:力加減ができない、身体の使い方が不器用(当てはまらないケースもあり)。
①認知機能の弱さ
認知機能:記憶・知覚・注意・言語理解・判断・推論といったいくつかの要素が含まれた知的機能。
五感 ⇨ 認知機能 ⇨ 計画・実行 ⇨ 結果
学校教育現場では 「見る」「聞く」がメインだが、この2つを補う「想像力」も重要。
想像力の中でも「時間の概念」が弱いと、昨日・今日・明日くらいの世界でしか生きられず、具体的な目標を立てることが難しくなり、努力しなくなる。そうなると、
・成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信が持てず自己評価が低い状態から抜け出せない。
・「他人の」努力が理解できない。
悪いことをして反省させる前に、何が悪かったのかを理解できる力があるのか、これからどうしたらいいのかを考える力があるのかを確かめなければならない。もしその力がないなら、反省させるよりも認知力を向上させることのほうが先決。
②感情統制の弱さ
・感情の中で最も厄介なのは「怒り」。原因は「馬鹿にされた」と「自分の思い通りにならない」。
・感情は多くの行動の動機づけ。不適切な感情が不適切な行動を生み出さないよう、不適切な思考パターンの修正を扱うのが認知行動療法。
③融通の利かなさ
融通を利かせる力=解決策のバリエーションの豊富さと、状況に応じて適切に選択肢を決めること。
・遂行機能(実行機能):日常生活で問題が生じた際に、それを解決するために計画を立て効果的に実行する能力。
融通の利かなさ、思考の硬さが被害感の強さに繋がる。
④不適切な自己評価
適切な自己評価は他者との適切な関係性の中でのみ育つ。
偏りのない適切な情報収集力が必要。相手のサインを上手くキャッチするためには、相手の表情を正確に読み取ったり、相手の言葉を正確に聞き取ったりするなどの認知機能が関係してくる。
⑤対人スキルの乏しさ
・対人スキルが弱いと、嫌なことが断れず、助けを求めることができない。
・コミュニケーションが上手く取れず、友だちから嫌われないよう、もしくは認めてもらうためにふざけたことをする。周囲から「面白い」と言ってもらえると、「ふざけ行為」は強化され、次第に悪いことに繋がっていき、そこで自分の価値を見出すようになる。非行化は彼らなりの生き残りの手段。
・現実的にも、人間関係に重きを置かない第1〜2次産業は激減しているが、SNSの普及などにより対人スキルがトレーニングできる機会は減ってきている。
3.気づかれない子どもたち
少年院に入る少年たちが特別にひどいのではなく、彼らは教育相談や発達相談で挙げられる特徴・サインを小中学校にいる時から出し続けていた。
これらの背景には知的障害や発達障害といったその子に固有の問題や、家庭内での不適切養育や虐待といった環境のの問題があり、非行少年たちはサインをだいたい小学2年生から出し始める。
しかし単に問題児として扱われてしまい、その背景に気づかれず、特別支援教育にも繋がれず、問題が深刻化しているケースもある。
また、そのような子どもの課題に保護者が気づいたり理解しようとしたりしないことがある。さらに出院後も、非行に理解はあってもは発達障害や知的障害についての十分な知識がない雇用主に気づかれず、叱責を受け、嫌になって辞めてしまうことがある。
・1次障害:障害自体によるもの。
・2次障害:周囲から障害を理解されず、学校などで適切な支援が受けられなかったことによるもの。
・3次障害:非行化して矯正施設に入ってもさらに理解されず、厳しい指導を受け一層悪化する。
・4次障害:社会に出てからもさらに理解されず、偏見もあり仕事が続かず再非行に繋がる。
◯「気付かれていない」子どもたちはどのくらいいるのか
知的障害:一般的にIQが70未満で社会的にも障害がある。(1970年代以降のもの)
1950年代の一時期は、IQ85未満とされていた。IQ70〜84は現在では「境界知能」と言われている。定義を85未満とすると、全体の16%が知的障害と判定され、あまりにも多く、支援現場の実態と合わないため、IQ70未満に下げられた。
だが、時代によって知的障害の定義が変わったとしても、事実が変わるわけではない。IQ70〜84の境界知能の子どもたちは依然として存在しており、知的障害者と同じく支援を必要としているかもしれない。その数はおよそ14%であり、換算するとクラスで下から5人の子どもたちは、周囲から気付かれずに様々なSOSのサインを出している可能性がある。
ADHD(注意欠陥多動症)・ASD(自閉スペクトラム症)・LD(学習障害)などの診断があれば、周囲からの理解は得られやすいが、クラスで下から5人は困っているにもかかわらず診断がつくことはない。そもそも知的障害自体は病院の治療対象ではなく、軽度知的障害であっても気付かれる場合は少なく、診断がつくことも少ない。
ここ5年間で知的障害者の数が統計上倍に増えたのは、知的障害者に対する認知度が高まり、療育手帳取得者が増えたからであり、支援が必要なのに気付かれていない知的障害者がまだかなりの割合でいる。
4.忘れられた人々
知的障害を持っている人は後先のことを考えて行動するのが苦手であり、「思索の深さ」が浅い。
しかし、軽度知的障害者は日常生活を送る上では概して一般人と比較して何ら変わった特徴が見られない。よって何か問題が起こると、「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまう。
だが彼らは困っていても自分から支援を求めることはなかなかせず、公的に障害を持っていると認定されるわけでもない。
軽度知的障害や境界知能を持っている人たちは、「軽度」という言葉から誤解を招きがちだが、多くの支援を必要としている。しかし社会的には普通の人々と区別がつかないため要求度の高い仕事を与えられて、失敗すると非難されたり、自分のせいだと思ってしまったりする。
また自らも「普通」であることを示そうとするので、仕事などで失敗が続いても必要な支援の機会を失うか、拒否したりすることに繋がっている。
知的ハンディを持った人たちは健常者と見分けがつきにくいが、違いが出るのはなにか困ったことが生じた場合。それ以外は気付かれずに忘れられてしまう。
・知的障害:軽度・中等度・重度・最重要度に大きく区分されるが、8割以上が軽度。しかし軽度の知的障害は中等度・重度よりも支援をそれほどしなくてもいいというわけではない。
・虐待:いかにして親に二度と虐待をしないように支援するのかが鍵。虐待してしまう親と軽度知的障害や境界知能の人たちとは特徴がよく似ている。
⇨防止には親の生物学的視点、つまり能力面にも焦点を当てた支援が必要になっているのではないか。
5.褒める教育だけでは問題は解決しない
・「褒める」「話を聞いてあげる」は、その場を繕うにはいいが、長い目で見た場合には根本的解決策ではなく、逆に子どもの問題を先送りにしているだけになってしまう。
・大人もなかなか高く保てない自尊感情を、子どもにだけ「低いから問題だ」と言っている支援者は矛盾している。問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していること。等身大の自分をわかっていないことから問題が生じる。ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要。
◯学習面・身体面(運動面)・社会面(対人関係など)からの子どもへの支援
・現在の学校教育には系統だった社会面への教育というものが全くない。社会面への支援とは対人スキルの方法・感情コントロール・対人マナー・問題解決力といった社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身につけさせること。
・計算や漢字といった学習の下には、「写す」「数える」といった土台があり、そこをトレーニングしないと子どもは苦しいだけ。今の学校にはこういった学習の土台となる基礎的な認知能力をアセスメントして、そこに弱さがある児童にはトレーニングをさせるといった系統的な支援がない。
・一度「知的に問題がない」と判定させれてしまえば、それは「怠けているだけだ」「性格の問題だ」「育て方が悪いのでは」と捉えられてしまう。
・認知行動療法に基づいたソーシャルスキルトレーニングは、「対象者の認知機能に大きな問題がない」ことが前提であり、認知行動療法は考え方を変えることによって不適切な行動を適切な小王道に変えていく方法だが、「考え方」を変える以上、ある程度の「考える力」があることが当然の前提になってしまっている。
・犯罪心理学や司法分野では「その少年たちの再非行をどうしたら防げるのか」といった具体的な処遇案はほとんど語られない。
・性的欲求などは「適切さ」を伝えることが重要だが、この「適切に」が微妙であり、発達障害や知的障害を持った少年たちには理解するのがとても難関。
6.ではどうすれば?1日5分で日本を変える
非行少年が変わろうと思ったきっかけは2つ。
①自己への気づき ②自己評価の向上
「適切な自己評価」(自分はどんな人間なのかを理解できること)⇨自己洞察・自己内省⇨自分の中の「正しい規範」
・自覚状態理論:自己に注意が向くと、自分にとってとても気になっている事柄に強く関心が向くようになり、その際、自己規範に照らし合わせ、その事柄が自己規範にそぐわないと不快感が生じる。この不快な感情を減らしたいとう思いが、行動変容するための動機付けとなる。
◯自己に注意を向けさせる方法
「あなたを見ていますよ」というサインを送る
「正しい規範」を」子どもに見せる
・少しでも多くの、かつ様々な気づきの可能性のある場を提供し、スイッチを入れる機会に触れさせることが大切。
「子ども心に扉があるとすれば、その取っ手は内側にしかついてない。」
・子どもが大人と1体1で向き合って得られる気づきよりも、同級生に言われて得られる気づきの方が大きいこともある。
・非行少年たちは、「人に教えてみたい、人から頼りにされたい、人から認められたい」という気持ちを強く持っている。人の役に立つことで自己評価の向上に繋がり、次第に勉強へのやる気も出てくる可能性もある。
◯子どもへの具体的な支援
社会性こそが教育の最終目標。
問題解決能力・感情コントロール + 学習の土台となる見る力・聞く力・想像する力
◯認知機能向上への支援
「コグトレ」(認知機能強化トレーニング)
「覚える」「教える」「写す」「見つける」「想像する」の5つのトレーニング。お金をかけずに1日5分でできる。
・脳機能と犯罪との関係
脳機能の障害に対応した何らかの認知機能へのトレーニングは、矯正現場でも必要であることは間違いないし、再犯率を下げる上で重要な意味を持つ。
◉犯罪者を納税者に
刑務所にいる受刑者を1人養うのに施設運営費や人件費を含め年間約300万円。
→1人の受刑者を納税者に変えればおよそ400万円の経済効果
⇨「困っている子ども」の早期発見と支援が重要
て感じでした。
勉強になるところ多くて、簡潔にまとめられなかった。
福祉分野働いている身として、知的障害や発達障害とかを一緒くたにぼんやり理解しているところがあったので純粋に勉強になった。
そしてキャッチーなタイトルと表紙の印象からは想像以上の、矯正現場だけではなく学校教育現場まで幅広い現状・問題・解決策が記されていて奥が深かった。
反省や改善を促す前に、そもそも反省することができる認知力を養わなければいけないという点にハッとした。
IQでの判断基準が支援側の実情や時代によって変わっていることも驚きだったし、正式な認定を受けて支援対象とならない、親や子どもたち側から支援を受ける身であることを認めたがらない狭間のグレーゾーンの層に対して、どのような投げかけを行っていくかが重要なのだと感じた。
また、更生にかかる費用対効果の視点から「犯罪者を納税者に」という提案を示していおり、純粋な福祉の心的な立場からのきれいな理想だけを訴えているわけでなくて好感が持てた。
なんとなく理解していることをしっかり学ぶ機会として良い体験だった。