『スクラッチ』歌代朔

久しぶりに読書して泣いた。

日本全国全ての中学校に置くべき傑作。

 

『スクラッチ』歌代朔

コロナ禍で「総体」が中止になったバレー部キャプテンの鈴音。美術部部長の千暁は出展する予定の「市郡展」も審査が中止。「平常心」と自分に言い聞かせ「カラフルな運動部の群像」の出展作を描き続ける千暁のキャンバスに、鈴音が不注意から墨を飛ばしてしまい…。コロナ禍で黒く塗りつぶされた中三の夏。そのなかでもがきながら自分たちらしい生き方を掴み取っていく中学生たちの、疾走する”爪痕”を描く物語。(Amazonより)

 

 

コロナ禍での学生生活。どんだけ想像しても過ごした本人たちにしかわからない経験だと思う。

だけれども、カロリーメイトのCMで神門がラップしていたけど、

 

「自分達には コロナのない中で過ごした学生時代がないのではない コロナ禍で過ごした学生時代があるのだ」

 

まさにそういうことなんだと思う。

 

大会が無くなったバレー部、審査が無くなった美術部。

どちらも「他者と競って、手に入れて、上に進むこと」のチャンスさえも理不尽にも手放さなければいけなかった。

聞き分けの良さも、諦めも、怒りも、どんな感情を内包してどんな態度を取ったとしても、真摯に向き合っていたら簡単に割り切れることじゃない。

そしてその割り切れなさを抱いたまま、終わらせず変わらず突き進むのか、新しいことを始めるのか、思っても見なかった夢に挑戦してみるのか、進み方は生徒それぞれだった。

 

主人公の少年・千暁が描いた、大人(審査員)が良いと思う絵にもう一人の主人公の少女・鈴音がアクシデントで墨をかけてしまう。そこから全てを黒で覆って、コロナ禍で経験した傷(スクラッチ)を描き、希望の姿や本来であれば経験するはずであった輝きを掘り起こし描き出す。その展開と少年にスイッチが入った瞬間の熱量はとても惹きつけられる魅力があった。

でも物語はそこに終始せず、コロナ以前の災害で負った傷や身につけてしまったブレーキも絡ませ、不恰好でも万人受けする整いがなくても、本当に今の自分が描きたいもの=自分の姿をさらに描き、「コロナに負けず僕たちは学校生活を精一杯やり切りました」では収まらない、一人の人間の人生と成長を綴っている。

また今作は他の生徒たちの成長も魅力的で、それぞれの理由で中学生活最後の夏休みを通して大人の想像を超えて大きくなっていく。

 

夢があってもなくても、かけがえのないものが見つかってもまだなくても、日々生活していくだけでどんな環境だろうと子どもたちは成長していく。その環境の要因のひとつがたまたまコロナであっただけ。それは何かが欠落していたのではなく、逆にこの3年間を学生として過ごした世代しか経験できなかった、少しでもプラスな意味を持った特別なものになってほしいと思う。

 

 


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