『勿忘草の咲く町で〜安曇野診療記〜』 夏川草介

また新たな魅力が。

 

『勿忘草の咲く町で〜安曇野診療記〜』 夏川草介

たとえ命を延ばせなくても、人間にはまだ、できることがある。

看護師の月岡美琴は松本市郊外にある梓川病院に勤めて3年目になる。この小規模病院は、高齢の患者が多い。 特に内科病棟は、半ば高齢者の介護施設のような状態だった。その内科へ、外科での研修期間を終えた研修医・桂正太郎がやってきた。くたびれた風貌、実家が花屋で花に詳しい──どこかつかみどころがないその研修医は、しかし患者に対して真摯に向き合い、まだ不慣れながらも懸命に診療をこなしていた。ある日、美琴は桂と共に、膵癌を患っていた長坂さんを看取る。妻子を遺して亡くなった長坂さんを思い「神様というのは、ひどいものです」と静かに気持ちを吐露する桂。一方で、誤嚥性肺炎で入院している88歳の新村さんの生きる姿に希望も見出す。患者の数だけある生と死の在り方に悩みながらも、まっすぐに歩みを進める2人。きれいごとでは済まされない、高齢者医療の現実を描き出した、感動の医療小説!(Amazonより)

 

マイマスター夏川草介の新作。

舞台は『神様のカルテ』と同じ長野県松本。でもこちらは更に郊外であり、高齢者医療の現実を描いている。

そして今回は視点が主人公の医師・桂だけでなく、ヒロインの看護師・美琴の目線で紡がれているエピソードもあり、医師と患者という対極的な関係性だけではなく、看護師という半歩横からの、ある種第三者的な考え方で「医療」について訴えている場面もあり新鮮だった。

神様のカルテ』では地域医療が主題だった気がするけど、今作は更に食い込んだ「高齢者医療」という、これから少子高齢化が加速していく日本が必ず避けて通れない問題について、悩みながらも真摯に向き合う主人公たちが読んでいて心に残る。

「奇跡も感動も起きない」死、「溢れかえった高齢者を支えきれなくなっている」、「山のような高齢者の重みに耐えかねて悲鳴を上げている」など、決して特別に過疎化しているか起きている問題ではなく、大都市以外では日本中どこでも起こり得る問題で、そこにどう立ち向かっていくかということを丁寧に描写している。

そこには単に「できる限り治療を行う」か「看取る」という選択肢だけではなく、「駆けつけてくれる家族につなぐため」という、どういった形で本人や家族に最期を迎えさせるかを優先した、どう「死」と向き合わせるかということを重視した答えも投げかけている。

一番大切なことは、患者が、家族が、医療側が、ひとりの生と死に対してとことん「悩むこと」だって気づかせてくれた。その結果が「たとえ命を延ばせなくても、人間にはまだできることがある。」ってことに繋がるんじゃないかと。

絶大なスキルや感動的な最期ではなく、変わらずに命と医療に真正面から真摯に向き合う丁寧な物語に心が打たれた。

あとやっぱり「九兵衛」が出てきて彼の影を感じると嬉しいものがあるし、早く2人が出会ってくれないか、出会ってからのストーリーを読ませてくれないかとワクワクしてしまう。

 

 

勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~

勿忘草の咲く町で ~安曇野診療記~

 

 

 

新章 神様のカルテ

新章 神様のカルテ

 

 

 

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