『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』 岸田奈美
”わたしを家族を信じることを、自分で選んでいいのだ。逆もまた同じで、家族はわたしを信じることを、選んでくれたのだ。”
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』岸田奈美
▶︎あらすじ
笑えて泣ける岸田家の日々のこと
車いすユーザーの母、
ダウン症で知的障害のある弟、
ベンチャー起業家で急逝した父――
文筆家・岸田奈美がつづる、
「楽しい」や「悲しい」など一言では
説明ができない情報過多な日々の出来事。
笑えて泣けて、考えさせられて、
心がじんわりあたたかくなる自伝的エッセイです。(Amazonより)
▶︎感想
文才とはこのことを言うんだと思う。
2ヶ月足らずで3回も読んだ本は、これが初めて。
どんどんハマる文章のリズム感とスピード、「…」と「、」の抜群な使い方、それらにより増幅した面白さに笑いが抑えられない。
”わたしの乳は、どうやら、集団疎開していたようです。
いつの間に……?
開戦した覚えも……ないのに……?”
また、文中や解説でも語られているけど、忘れるからこそ書き留めるから、会話の描写やそこからのチョイスが秀逸。こんな切り取り方に憧れる。
”「2日目以降もチャーターできるようなので、そのまま観光を楽しんじゃってください」
楽しんじゃってください。飛びはねる語尾に、わたしまでつられて笑顔になった。”
そして、シンプルに文章の面白さを楽しむだけでも十分すぎるほど読む価値があるのに、それだけには収まらない、世間的にはハードに見えるバッググラウンドとそこから得てきた力強さが、さらにこの作品の魅力を倍増させてる。
たくさんの失敗と後悔を繰り返したからこそ、自分への優しさを見失う時もあったからこそ、強く優しくなれたんじゃないかと思う。
”さあ行け、良太。行ったことのない場所に、どんどん行け。助けられた分だけ、助け返せ。良太が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある。知らんけど。”
”「車いす生活になるけど、命が助かってよかったわ」
母は笑っていた。あの時ホッとしたわたしを、わたしは殴ってやりたいと今でも思う。”
”家族の会話は、「楽しい」とか「悲しい」とか、一言じゃ説明できない情報量にあふれている。”
”重い人生だから、せめて足取りぐらいは軽くいたいんだ。知らんけど。”
”絶望は、他人の応援の言葉で、めったになくなるものではない。”
”いまだったら、エビチャーハン、頼んじゃうよ。なんならホタテも乗せちゃってよ。”
”そうして重なり合った複雑な味は何味でもなく、滋味、とでも表すんだろうか。”
”「好きな自分でいられる人との関係性だけを、大切にしていく」”
また、著者だけではなく、お母さんも弟さんもとても優しくて強くて、魅力に溢れている。一作だけ読んだことがある幡野広志さんももっと作品が読みたくなった。
間違いなく今年ベストに入る、「泣き笑い」っていう言葉がとても似合う傑作だった。