『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』田中泰延
功利的になってたから戒めになった。
『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』田中泰延
あくまで自身の整理のためにまとめるので、考えや意見はあまりありません。
示されているのは「読者としての文章術」。自分がおもしろくもない文章を他人が読んで面白いわけがない。
1.なにを書くのか
「文章」には書きたい人がいて読みたい人がいる(かもしれない)。仕事的な「文書」とは違う。
大部分は「随筆」であり、それは事象と心象が交わることころに生まれる文章。
・事象(世の中のあらゆるモノ・コト・ヒト)を見聞きして、それに対して心象(思ったことや考えたこと)を書く。
・定義をしっかり再構築する。自分がいま、なにを書いているのかを忘れないために。
・ことばを疑う。その単語に自分がはっきりと感じる重みや実体があるか、わけもわからないまま誰かが使った単語を流用していないか。
2.だれに書くのか
「あなたはまったくだれからも褒められなかったとしても、朝出かけるとき、最低限、自分が気に入るように服を着るだろう。文章も、それでいいのだ。」
ターゲット(読み手)なんて想定しなくていい。その文章を最初に読むのは間違いなく自分自身。
自分で読んでおもしろくなければ書くこと自体が無駄になる。自分が読んでおもしろく感じるためには、まだ誰も読んでいない文章を作る。
3.どう書くのか
事象とは、常に自分の外部にあるものであり、心象を語るためには事象の強度が不可欠。
ひとが創ったものには必ず文脈があり、下敷きになったものとどう関連しているか、どう発展させているかを調べて指し示すと読者は納得する。調べたことを並べるということは、読者を主役にするということ。
・図書館で一次資料に当たり、先人の積み重ねを学び理解した上で、物事を見渡し論じなければ進歩は望めない(巨人の肩に乗る)。
・自分が愛した部分、「つまらない、わからない」事も含め感動した部分を全力で伝える。調べることは愛することであり、自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために調べる。
・読み手が共感してくれるよう過不足なく思考の過程を編集し披露する。
事象に出会ったとき : 「起」実際の経験だという前置き(発見)
そのことについてしっかり調べて : 「承」具体的に何があったか(帰納)
愛と敬意の心象を抱けたならば : 「転」その意味は何か。テーゼ化(演繹)
過程も含めて自分に向けて書く : 「結」感想と提言をちょっとだけ(詠嘆)
4.なぜ書くのか
「書くことは世界を狭くすること」
その小さななにかがあくまで結果として自身の世界を広くしてくれる。
世界のどこかに小さな穴を掘るように、小さな旗を立てるように、書けばいい。すると、だれかがいつかそこを通る。
「自分がおもしろがれることが結果として誰かの役に立つということを証明したい」
自分が読みたくて、自分のために調べる。それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。何も知らずに生まれてきた中で、わかる、学ぶということ以上の幸せなんてない。
自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。孤独な人生の中で、誰かとめぐりあうこと以上の奇跡なんてない。
「書くことは生き方の問題」
て内容でした。
「はじめに」からまあまあふざけた感じと毒が伝わってきて面白そうと期待させてくれる。ハックや小手先の技術ではなくて、自分のために書くという楽しさを人を食ったような様子とは裏腹に丁寧にわかりやすく教えてくれる。文体はだいぶラフだけど、論理的に「書くこと」について記されていてツボや要点が理解しやすい。
終盤の筆者の覚悟というか生き方の表明や最後のコラムからは、飄々とした感じに隠されていた書くことで他者と繋がることへの熱い感情が溢れていた。
最近啓発系の本を読むようになり、どこか頭でっかちというか功利的な感じで本を読んでいたから、何かを得るためというよりもその文章(事象)から何を感じて何を外に伝えたいのかということを大切にしていきたい。