『臨床の砦』夏川草介

一口に面白いとは言えないけれども。

 

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『臨床の砦』夏川草介

緊急出版!「神様のカルテ」著者、最新作。
「この戦、負けますね」
 敷島寛治は、コロナ診療の最前線に立つ信濃山病院の内科医である。一年近くコロナ診療を続けてきたが、令和二年年末から目に見えて感染者が増え始め、酸素化の悪い患者が数多く出てきている。医療従事者たちは、この一年、誰もまともに休みを取れていない。世間では「医療崩壊」寸前と言われているが、現場の印象は「医療壊滅」だ。ベッド数の満床が続き、一般患者の診療にも支障を来すなか、病院は、異様な雰囲気に包まれていた。(Amazonより)

 

フィクションだけれども、紛れもなくこの物語は、二、三ヶ月前に日本各地で起こっていたことであり、今も自身の街で起こっていることだと痛感した。

画面やネットでは「医療従事者に感謝を」って声高に言われていたり、医療・福祉分野からの感染に非難が浴びせられたりしているけれど、実際にどんな状況・切迫感で、「病床使用率」という言葉の意味を誤りなく認識して、理解していたかというと恥ずかしながら分かっていなかった。

楽天的でいるままでは決して良くないけど、この作品を読んで変に悲観的になったり安心したりするのではなく、これが現実に起きていることだとしっかり認識することがまず第一に重要なのではないかと感じた。

いつもの心が温まる会話や、ブレイクスルーするセリフがたくさんあるわけではないし、医療従事者じゃなければどこにかすかな希望を見出せばいいかわからない、そして今現在のほうが状況は悪化しているとも思う。それでもこの物語は多くの人に読んでほしいし、早くいつもの『神様のカルテ』シリーズの新作を読みたいなと思った。

 

 

臨床の砦

臨床の砦

 

 

 

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『春、戻る』瀬尾まいこ

じんわり大切なことを教えてくれる。

 

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『春、戻る』瀬尾まいこ

結婚を控えたさくらの前に、兄を名乗る青年が突然現れた。どう見ても一回りは年下の彼は、さくらのことをよく知っている。どこか憎めない空気を持つその“おにいさん”は、結婚相手が実家で営む和菓子屋にも顔を出し、知らず知らずのうち生活に溶け込んでいく。彼は何者で目的は何なのか。何気ない日常の中からある記憶が呼び起こされて―。今を精一杯生きる全ての人に贈るハートフルストーリー。(Amazonより)

 

激しい感情の起伏が見受けられず、飄々とこなしていく様子が、著者の作品の好きなところなんだけど、その要素が特に色濃く感じられる。

複雑な家族関係もありそうにないのにいきなり「年下の兄」が登場し、最初は戸惑いながらも割とすんなり受け入れて関係を築いていく主人公たち。

そしてその出自が明らかになっても、その関係性に物語の重きが置かれているのではなく、主人公が閉ざしていた記憶の扉を開けて過去の自分と清算するキッカケとなる。

スラスラ読めるし、もしかしたら物足りないなって感じることもあるかもしれないけど、飾らないふたつの大切なことを学んだ。

 

「別に正確に思い出す必要なんてないわよ。お父さんがいた事実さえ残っていれば、どれを思い出そうが、思い出がねじれようが、どうでもいいじゃない」

 

「思い描いたとおりに生きなくたっていい。つらいのなら他の道を進んだっていいんだ。自分が幸せだと感じられることが一番なんだから」

 

肩肘を張りすぎずに自身に出来る範囲で精一杯やりきることの重要性みたいなものを感じた。

主人公と共に闖入者に戸惑い、クスッと笑えて、大切なことはじんわり心に残る、春の空気感を切り取ったような作品だった。

 

 

春、戻る (集英社文庫)

春、戻る (集英社文庫)

 

 

 

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『9月9日9時9分』一木けい

この全部が爽やかに終わらない読後感が癖になる。

 

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『9月9日9時9分』一木けい

愛される快感と、「人」を想う難しさ――。
バンコクからの帰国子女である高校1年生の漣は、日本の生活に馴染むことができないでいた。そんななか、高校の渡り廊下で見つけた先輩に、漣の心は一瞬で囚われてしまう。漣は先輩と距離を縮めるが、あるとき、彼が好きになってはいけない人であることに気づく。それでも気持ちを抑えることができない漣は、大好きな家族に嘘をつくようになり……。忙しない日本でずっと見つけられずにいた、自分の居場所。それを守ることが、そんなにいけないことなのだろうか。過ぎ去ればもう二度と戻らない「初恋」と「青春」を捧げ、漣がたどり着いた決意とは。
三浦しをんさんも大絶賛!!気鋭の作家が挑む傑作長編、満を持して刊行!
バンコク在住の著者だからこそ描けた、国境を超えた名作!!(Amazonより)

 

読み始めは、登場人物の顔が想像しづらいというか、どこかちぐはぐした印象を持って、「なんか移入しづらいな」と感じるんだけど、徐々にその理由がわかってきて、気づくとそれぞれの悩みや葛藤に夢中になっていた。

ザ・青春のような恋愛模様と、その裏でお互いが背負っている、どうしようもない手放しきれない重荷の対比が見事でどんな面持ちで読んでいいかわからなくなっていく。

人物単体のその場面の発言だけで切り取ると、どこか狭量だなと感じるんだけど(特に姉と父)、そこに至るまでの感情の移り変わりは結局当人しかわからないもので、「どんな立場で、どんな意見を持って、どんな愛情を抱えて、どこまで相手に寄り添えるか」っていうことがテーマの一つのように感じられた。他人から見たら些細な出来事や思いでも、そこまでとそこからの変遷は本人しか100%はわかりえないとしても。

作中に出てくる、「認知が歪んでいる」っていう状態は、依存症とかでなくても大なり小なり全員が他者に抱えていることだと感じた。その中でも、それぞれが失敗しながら失言しながら少しずつ変容していく姿はめちゃくちゃ読み応えがある。

「誰だって失敗するよ。悔しくても悲しくても、これかなって答えをひとつひとつ探しながら、すこしでもよくなるようにやっていくしかないじゃん。」

この言葉に生きていく上での真理を感じずにはいられなかった。

 

この複雑な心象描写と人との関わりの難しさの表現はさすがだし、核となる人物がどんどん入れ替わっていくところも現実味があるし、朋温とのハッピーエンドで終わらせないところも人生の苦味を感じさせてくれて、爽やかさや多幸感でだけではない読後感に大満足。

 

 

9月9日9時9分

9月9日9時9分

  • 作者:一木 けい
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: 単行本
 

 

 

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『国道食堂 1st season』小路幸也

やっぱこの人の作品はかけがえのない読書体験。

 

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『国道食堂 1st season』小路幸也

お店の中にプロレスのリング?ちょっと田舎にあるけれど何を食べても美味しい食堂“ルート517”。そんな、ちょっと変わった店に通う人々の様々なドラマ。(Amazonより)

 

田舎の食堂を舞台にした沢山の人の今までのドラマと交差することによって生まれる新たな物語。

この人の作品を読むといつも思うけど、登場人物は優しい人しかいない。それも単純に優しさを表現してるだけではなく、その人物の今までの人生とか背景や苦難を含んだ上で、でもその苦しみを全面には押し出さず、そこを介して生まれた他者への優しさに溢れている。

都合良すぎるって思うかも知れないけど、次々に繋がっていく展開も純粋に読んでいてワクワクするし楽しい。

伏線とか意外性とか衝撃とか感動とかドンデン返しとか、もちろんそれらが大事な要素であることは分かっているけど、そういうものとは関係ない部分での空気感だったりあたたかみだったり、説明のつかない面白さってのが小説にはあると思うし、それの最たる例の一つが小路幸也作品。

シーズン2も早く読もう。あと東京バンドワゴン新作楽しみ。

 

 

国道食堂 2nd season (文芸書)

国道食堂 2nd season (文芸書)

  • 作者:小路幸也
  • 発売日: 2021/01/27
  • メディア: 単行本
 
国道食堂 1st season

国道食堂 1st season

 

 

 

 

『いのちの停車場』南杏子

ラスト、ドキッとした。

 

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『いのちの停車場』南杏子

東京の救命救急センターで働いていた、62歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。「命を助ける」現場で戦ってきた咲和子にとって、「命を送る」現場は戸惑う事ばかり。老老介護四肢麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女…現場での様々な涙や喜びを通して咲和子は在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、骨折から瞬く間に体調を悪化させ、自宅で死を待つだけとなった父親から「積極的安楽死」を強く望まれる…。(Amazonより)

 

終末期医療や緩和ケア、ステージドクターなど、作者が描く様々な医師像を体験してきたけど、今回はそれとはまたちょっと違う「在宅医療」が舞台。

 

命の明滅にとても近いところであることに変わりはないけど、どうやって家という自分を包み込んでくれる空間で病と向き合っていくか、または死への準備を行っていくかというところにスポットが当てられている。

 

それは決して物語の出来事だけに収まるのではなく、看病したり看取る側にも降り注ぐ、いずれ必ず自分の親や自身にも訪れる問題なんだなとリアリティを感じながら楽しめた。

 

各登場人物が一人で派手で目立つわけではなく、各々が支え合いながら少しずつ進んでいっている感じが、金沢の落ち着いた風景描写と合わさりじんわり来るし、各章の病人たちが困難な状況にありながらもエネルギッシュで小さいながらもしっかり火を灯していることを感じる。

 

そしてなにより驚いたのがラスト。今までの作風とは違っていて、悲しいけれど毅然とした決意を感じる。それは決してフィクションの中だけではなく、現代社会や読み手への投げかけなのではないかと思った。

 

積極的安楽死を含む終末期の医療のあり方、苦しんでいる張本人の意思の尊重の仕方など難しい問題はたくさんあるのだろうけど、読み終わった後には満足感だけではなくしっかり心に「自分だったら、親だったらどうするか」という引っかかりを残してくれる素晴らしい作品だった。

 

 

いのちの停車場 (幻冬舎単行本)

いのちの停車場 (幻冬舎単行本)

 

 


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『その手をにぎりたい』柚木麻子

なんとはなしに読み始めたらすごく面白かった。

 

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『その手をにぎりたい』柚木麻子

八十年代。都内で働いていた青子は、二十五歳で会社を辞め、栃木の実家へ帰る決意をする。その日、彼女は送別会をかね、上司に連れられて銀座の高級鮨店のカウンターに座っていた。彼女は、そのお店で衝撃を受ける。そこでは、職人が握った鮨を掌から貰い受けて食べるのだ。青子は、その味にのめり込み、決して安くはないお店に自分が稼いだお金で通い続けたい、と一念発起する。そして東京に残ることを決めた。お店の職人・一ノ瀬への秘めた思いも抱きながら、転職先を不動産会社に決めた青子だったが、到来したバブルの時代の波に翻弄されていく。(Amazonより)

 

自分自身が経験していなかったバブル時代の仕事と恋愛と食の物語。この3つの要素が混じり合って溶けて混ざって、出世欲も金欲も性欲も食欲もひとつになって翻弄していく描写は流石だった。時系列が逆になるけど、『BUTTER』に通じるものがある。

ひとつひとつのネタに合わせたストーリーも見事だし、主人公が時代の趨勢とともに変化・成長・挫折していくさまも読み応えがあった。未経験者からすれば、本当にこんな狂乱みたいな時代があったんだなって、少しの羨ましさもある。ただ、かつての輝かしい花火の一瞬を見ているようでありながら、ここ数年の日本・世界の変化を考えると、派手さはないだけで過去以上に混沌とし静かに変化しているのではないかと薄ら寒くもなる。

最初は女性が主人公のラブストーリーくらいの捉え方で読み始めたけど、どんどん刺さる部分が出てきて、現在30代独身で先が見えづらい時代に生きている自身には身につまされる箇所も多い。これからいつ読み返しても感じるところが多い一冊となった。

 

 

 

その手をにぎりたい (小学館文庫)

その手をにぎりたい (小学館文庫)

 

 

 

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『犬がいた季節』伊吹有喜

久しぶりの伊吹有喜はやっぱりものすごかった。

 

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『犬がいた季節』伊吹有喜

ある日、高校に迷い込んだ子犬。生徒と学校生活を送ってゆくなかで、その瞳に映ったものとは―。最後の共通一次。自分の全力をぶつけようと決心する。18の本気。鈴鹿アイルトン・セナの激走に心通わせる二人。18の友情。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件を通し、進路の舵を切る。18の決意。スピッツ「スカーレット」を胸に、新たな世界へ。18の出発。ノストラダムスの大予言。世界が滅亡するなら、先生はどうする?18の恋…12年間、高校で暮らした犬、コーシローが触れた18歳の想い―。昭和から平成、そして令和へ。いつの時代も変わらぬ青春のきらめきや切なさを描いた、著者最高傑作!(Amazonより)

 

連作短編集みたいな形で全章文句なしで良いんだけど、はじまりの第一章を読見終わった瞬間の充実感と言ったら。

 

犬のコーシローを支点にして、高校3年生という何物にも代えがたい、子供から大人へと一歩進む瞬間を切り取ることで、思春期の輝きや葛藤、これから待ち受けているであろう人生の苦難への恐れなど、様々な感情が増幅されている。

 

そして、やっぱりこの作者は人物の感情の背景や裏側というか、表には出さない部分の描写がめっちゃわかりやすいし、グッと来る。第一章の最後のコウシロウなんて本当に切なくていじらしくて、それでもしっかり一人の人間として立っている強さも伝わってきて、これからあと何回かこの体験をできるのかと思うと多幸感に満ち溢れた。恋愛の儚さと尊さも、人生と人間関係の少しの苦味を伴った面白さも、多くの感情体験を与えてくれる。

 

あともう一つの側面として、昭和のケツから令和のアタマまでの約30年間の、日本の移り変わりも表現されている。自分自身が昭和63年世代ってのもあるけど、様々な文化や出来事があったんだなってことを実感する。しかも、高校3年生というずっと30年間変わらない年齢層から切り取って表現されているため、ふつうの追体験や自分が経験してきた感覚とはまた違ったふうに感じることが出来て面白かった。でもやっぱり、1995年の阪神淡路大震災地下鉄サリン事件の衝撃はものすごいなってことを改めて感じたし、受験生という立場で考えたら人生の岐路にも影響出てくるよなってことを知ることができた。

 

本当に各登場人物が魅力的だし、その魅力の根源にある感情の揺らぎ方の描写も見事で、そして繋っていくストーリーも最後の最後まで幸せに満ち溢れていて、読後の充実感と満足感は今年一番だった。

本屋大賞ノミネート作品は四作しか読んでないけど、どれが受賞するか楽しみ。

 

 

犬がいた季節

犬がいた季節

 

 

 

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